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ボルネオ島サバ州の歴史概要

マレーシア、ボルネオ島サバ州の歴史の要約をまとめてあります。19世紀後半にイギリス人が進出し「北ボルネオ会社」を設立、1962年にマレーシアの州となりました。

歴史の詳細

ボルネオ島サバ州の歴史

サバ州に現在の住民の祖先が住み着いたのは約4、5千年前と推定されており、インドシナ半島から船で渡来して、海岸や河口に高床式の住居を建て、魚介類と芋の食事をしていた。その後、川を遡ったり、森を切り開いて行き、内陸部にも進出した。その過程で、引き続き漁業に従事する集団、森を切り開いた丘陵地の斜面で焼畑に従事する集団、森の中で移動しながら主に移動採集をする集団に分かれ、現在の各民族の基盤になっていった。

サバ州はボルネオ島の北端に位置し、他の世界との接触は僅かで、住民はそれぞれの民族毎に分かれて暮らし、自給自足の平和な生活を送ってきた。それでも、海燕の巣などを採取する目的で渡来した中国商人や、交易を介してイスラム教を伝道しに来た漁業民族などとの接触があったが、地域的に限定されていた。また、近隣のブルネイ王国やスルー王国が領有権を主張することもあったが、実際には社会に及ぼす影響はほとんどなかった。

サバ州の社会が激変するのは、19世紀後半にイギリス人が進出してきてからで、彼らはサバ州全体を、ロンドンで設立された「北ボルネオ勅許会社」というプランテーション会社の所有とし、各種の農産物を植えた。内陸部で作られた農産物を送る鉄道を、19世紀末から中国人の下層労働者を使役して敷設し始めた頃、西洋人の出現に不安を覚えた現地民族は反乱を起こしたり、現地民族同士で首狩り合戦が頻発したりするようになった。

こういう混乱も収まり、会社の経営が軌道に乗り始めた20世紀始め頃、会社の本拠となったサンダカンには、東南アジアや世界各地から人が集まって国際都市となり、日本からも、「からゆきさん」と呼ばれる売春婦たちが送られてきた。

ボルネオ島サバ州の歴史

1941(昭和16)年に始まった太平洋戦争後、サバ州は日本軍の統治下に置かれ、各地で飛行場が整備され、道路も作られた。軍政時代の前半のサバ州は非常に平穏だったが、後半には日本軍の敗色が濃くなるに従い、現地人の反乱や連合軍の攻撃に直接さらされるようになり、「サンダカン死の行進」や「ラブアン玉砕」などの悲劇が相次いだ。敗戦後に、全日本人が財産を没収されて強制収容され、半年ほどの間に全員が強制送還された。

戦後、イギリスが再び乗り込んできたが、1957年にマレー半島部のマラヤ連邦の独立することを許容した。そのマラヤ連邦が、国内のマレー系と中国系の民族問題を解決すべく、サバ、サラワクも含めたマレーシアを建国することにして、1962年の国連監視下の住民投票を経て、1962年9月16日にイギリスから独立し、同時にマレーシアの一州となった。

独立後、1970年代になると豊富な木材資源のお陰で、特に日本向けの原木輸出によってシンガポールに比肩するほどに経済は繁栄し、政治的あるいは経済的な理由で移住してきた近隣諸国の移民労働者が大量に流入し、1980年代の人口約80万人が、2000年には約270万人にも膨れ上がり、様々な社会問題を引き起こしている。

1980年代には木材資源に陰りが見られたことと、国際的な環境問題の意識の高まりから、原木輸出は停止された。現在は、油ヤシ(オイル・パーム)と、エコ・ツーリズムが、州の経済を支える2本柱となっている。

著者:三好良一


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更新:2015年09月26日|公開:2009年09月23日|カテゴリ:歴史

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