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独立後 ~ 現在まで @ ボルネオ島サバ州

マレーシアのボルネオ島サバ州の独立後、現在までの詳細を紹介します。ボルネオ島には豊かな熱帯雨林がありましたが、木材資源として多くが切り出され、現在原生林はあまり残っていません。

歴史の詳細

こうして独立を果たした直後のサバ州政府は、マレーシア加入の際に要求した自治権、つまり、外交、軍事、治安、教育、医療以外の分野では州政府が裁量権を持つことが認められたため、石油や木材などの豊富な資源を財源にして国作りをしょうという意欲に燃えていた。ちょうど、当時フィリピンでの日本企業による原木伐採が限界に達し、伐採の中心地がサバ州に南下してきた時期と重なり、盛んに熱帯雨林の原木が切り出されていき、1970年代中期のピーク時には、世界の木材生産の2割がサバ州で切り出されるほどになった。しかも、そのうちの半分が日本向けだったから、当時の日本は、世界の木材生産量の1割を輸入していたことになる。こうして、さしもの世界最古とされるサバ州の熱帯雨林は急速に消失し、人の手が入っていない原生林は、現在2割を切るほどになった。

この木材伐採の最盛期には、サバ州の経済はシンガポールと肩を並べるほどに繁栄し、州政府は意欲的な各種の開発プロジェクトを次々に推進した。そのうちの農業開発政策により、筆者が20年所属した日本のオイスカというNGOも招聘されて、1977年から農業研修事業を開始した。しかし、杜撰な計画と職員の職務怠慢、幹部の汚職、浪費などから、多くのプロジェクトが十分な成果を出さないまま、途中で放棄されている。

折りしも、隣国フィリピン南部のミンダナオ島やスルー諸島でイスラム教徒とキリスト教徒の間の内戦がエスカレートして、多くのフィリピン人難民が流入してきたが、彼らは主にサバ州の建設・土木産業の下層労働を担うようになった。その他、インドネシアからも経済的理由で多くの移民が流入し、農園労働者などの分野での下層労働を担うようになっている。これら外来の移民労働者の増加により、1980年代には約80万人だったサバ州の人口は、2000年には約270万人に膨れ上がるに至った。

ともあれ、1980年代に入ると、さしもの木材伐採のスピードも落ち、伐採地は隣のサラワク州やインドネシア領ボルネオのカリマンタン、パプア・ニューギニアへ移動し、1986年には、世界的な環境問題への関心の高まりの影響もあって、原木伐採は禁止されるに至った(加工材は認められている)。その後、同じく環境問題への関心の高まりから、エコ・ツーリズムが1990年代から盛んとなり、さらに前述のように木材産業から転換した油ヤシ産業が伸びてきて、現在のサバ州の経済を支える産業の2本柱となっている。

政治に関しては、いろいろな政党が離合集散して政権も何度か変わっているが、いずれの政党も経済開発を公約しての利権の取り合いのレベルに過ぎず、資本主義か社会主義かなどの体制選択が焦点になることはない。一つには、第二次大戦中から戦後にかけての、マレー半島部でのマラヤ共産党によるテロや、インドネシアの親共産主義政権だったスカルノ大統領による軍事介入などの経緯があって、共産党が非合法化されている事情がある。

また、マレーシアには、日本の戦前の治安維持法に似た、国内治安法(Internal Security Act、略してISA)という法律があり、今もサバ州民の一部にわだかまっている、サバ州のマレーシアからの独立を公言すると逮捕される事情もあり、しかも、サバ州政府予算の半分以上は、日本の地方公共団体と同じく、西マレーシアの連邦政府からの補助金頼りだから、政治家たちの議論は専ら経済のことばかりになっている。

1994年に、連邦政府に対して野党だった政権が崩壊して以来、連邦政府からの介入が強まり、今では州政府大臣は全員連邦政府に忠実であり、官庁のトップや幹部の多くも、西マレーシアから来たイスラム教徒が占めるようになり、元々サバ州には少なかったインド系人も、近年西マレーシアから移住してきた者が多くなってきた。その意味で、西マレーシアによる、サバ州の植民地化が進行中だと言えよう。

著者:三好良一


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更新:2015年09月26日|公開:2009年09月23日|カテゴリ:歴史

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