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漂海民|バジャウ族ってどんな人? @ ボルネオ島サバ州

バジャウ族は200年ほど前にフィリピン方面から移住し定着した、漁業するイスラム教徒で水上集落を作って生活しています。美しいスールー海の島々に住んでいましたが、今は陸上生活者が増えてきています。

バジャウ族とは?

漂海民|バジャウ族ってどんな人? @ ボルネオ島サバ州
バジャウ族の水上集落

州内土着民族で約15%と、第3位の人口を誇る。200年ほど前にフィリピン方面から移住してきて定着したバジャウ族を始め、いずれの民族もフィリピンのスルー諸島を父祖の地とする、元々は漁業を生業とするイスラム教徒であり、州の東西の海岸部沿いに水上集落を作って広く居住していた。

このグループに属するいずれの民族も、漁業民の一般的気質として気性が荒く、頭や舌の回転が速い…、こんな紹介の仕方をしたのは、筆者がサバ州で農業指導員をしていた時期(1983~1991)に、この民族の研修生たちに最も手こずったからだ。筆者が農業数学や気象観測などの授業をやると、この民族の生徒たちは、中国系に次いで理解力が早かったが、多面、文句や苦情を述べ立てるのも、大概はこの民族だった。

この民族グループに属する、昔は海賊として名を馳せたイラヌン族の男が、1980年代後半の1年間、筆者の助手をしていたが、ある時に女子研修生との交際を咎めたら、その晩に他の研修生たちと共に筆者に突っかかってきて、ビンタを食らわせたこともある。その時は他の研修生たちが寄ってきて両者を引き離したのだが、彼はその年の終わりに退所して行った。後年、彼が勤めていた農業プロジェクトに行って再会した時、生まれたばかりの男の赤ん坊を見せてくれたのだが、その赤ん坊の顔付きがいかにも聞かん気のない可愛げのない面構えをしているので、血は争えないものだと舌を巻いたものだった。

また、1990年代後半、やはり同じイラヌン族の男性で、当時州政府の農業大臣に会った時も、筆者が属していた日本のNGOの東京本部を訪ねた際に不手際があったとして、「俺は大臣なんだ!わかってるのか!」と、テーブルを叩いて怒鳴られたこともある。この時も、それで気が済んだのか、以後は良好な関係が続いた。怒りっぽいが、ねちねちと恨みを持つことはなく、カラッとした性格なのだ。

こうした性格は、やはり「板1枚下は地獄」とされる、危険な漁業に従事する民族の気質として長年受け継がれた習性なのだろう。また、気象や波の変化によって、いつ船が引っくり返って命を落とすかも知れないという状況の中で、雲や波を見ながら、的確な状況判断と決断をしていかなければならない環境が、彼らの理解力を育んでいったものだろう。


 

漂海民|バジャウの歴史

漂海民|バジャウ族ってどんな人? @ ボルネオ島サバ州
漁業を営むバジャウ族

この民族は、前述のように、2、300年前からサバ州に定着したのだが、出身地は、フィリピン南部ミンダナオ島西部サンボアンガ Samboanga半島から南西方面に向けて、サバ州東海岸サンダカンの南のデント Dent半島にかけて伸びる、スルー Sulu 諸島の一つ、タウィタウィ Tawi tawi 島である。スルー諸島は多くの島からなる列島で、大きい島が3つ、サンボアンガに近い方から南西に向けて、バシラン Basilan、ホロ Jolo、タウィタウィ島と並んでいる。彼らは、サバ州に近い島から移住してきたわけだ。

そのうちのホロ諸島に、以前にも登場したイスラム教徒のスルー王朝が数百年前頃に成立し、サバ州の西半分の領有を主張していたブルネイ王国に対して、東半分の領有を主張したことは既に述べた。スルー諸島の住民の大多数は地理的関係から、当然漁業民族が多く、ほとんどがイスラム教徒であり、スルー王朝を開いたタオスグ Taosug 族を頂点に、先祖や言語、文化が少しずつ異なる多くの民族が居住していた。

このバジャウ族は、スルー諸島南西端のタウィタウィ島周辺を本拠地とする、サマ Sama族という民族集団に属しているが、この集団の中では最下層の民族とされていた。それは、バジャウが元来、一生を船の上で暮らす漂海民だったからで、特定の島に芋類やキャッサバを植える彼らの耕作地があって、そこの浜に寄ることはあっても、夜寝るのは家舟と呼ばれる舟だった。こういう暮らしをしていた民族はアジアに多く、文化人類学の世界ではこのバジャウが最も有名なのだが、他にインド洋東岸を活動舞台にするミャンマーのメルギー族や、香港の蛋民(たんみん)があるし、日本でも戦前まではそういう生活をしている人たちが、瀬戸内海にいた。

それでも、バジャウ族の活動舞台は広く、フィリピンの南の、ローマ字のKの形をして昔はセレベス島と呼ばれていたスラウェシ島や、パプア・ニューギニア方面まで進出して漁業や、スルー諸島の名産品の貝殻細工や真珠の交易を行っていた。ちなみに、現在のコタ・キナバル市内の海岸の一角に「フィリピン・マーケット」という土産物の屋台街があるが、そこで売られている品物に貝殻細工が多いのは、この辺りがバジャウの交易拠点の一つだったからであり、その辺りにフィリピン人が多いのは、そういう歴史的経緯によるのだが、正確に言うと、フィリピン人と言っても、ルソン島のタガログ Tagalog 族やヴィサヤVisaya 諸島のキリスト教諸族ではなく、あくまでスルー諸島のイスラム教徒たちである。

また、今でもインドネシアの一部では「バジャウ」という名称が海賊を意味しているように、彼らは海賊行為も盛んに行っていた。もっとも、日本の室町時代に当時の中国の明王朝の沿岸を荒らしまわった倭寇と同じで、通常はちゃんとした交易行為に従事するのだが、交渉がうまく進まない場合に武力を行使したわけだ。倭寇の方は、室町末期になると、倭寇の大部分は中国人となっていた。これは、日本人の倭寇は、ある土地を占領しても半年もするとホームシックにかかって帰国するので、長続きしなかったためのようだ。

後に、外来民族の項で述べようと思うが、彼らがサバ州に移住してきた2、300年前と言うのは、ちょうど欧米の植民地勢力がアジア各国で本格的に進出していた時期であり、バジャウ族の本拠地のスルー諸島は、当時フィリピン支配を強固にしていたスペインの勢力に抵抗して武力闘争を続けていたし、インドネシアでもオランダが領土を広げつつあった。イギリスは、マレー半島のマラッカ王国を滅ぼしたポルトガルに取って代わったオランダと、特に胡椒を産するために香料諸島と呼ばれた、スラウェシ島の南のモルッカ諸島での支配権を巡って火花を散らしていた頃だ。


サバ州でのバジャウ族

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メンカボン Mengkabong 村にあるバジャウ族の水上集落

この頃、ボルネオ島はまだ、世界史の変化とは無縁だったので、何かと物騒になってきた近隣の海域から、平和なボルネオ島に安住の地を求めたのだろう。バジャウは相変わらず海岸や河口に水上集落を建てて住み、漁業で得た海産物を、カダザン・ドゥスン族が持ってくる米や野菜、それに奥地の民族が採取した動物の肉などと交換する交易が盛んになるうち、サバ州に定着してしまい、やがて陸地にも住むようになったものだろう。今はサバ州のリバークルーズの目的地の一つとなっている、コタ・キナバル北方25kmのメンカボン Mengkabong 村は、そういうバジャウ族の昔ながらの水上集落が見られる所である。

バジャウの中には漁業を捨てて農業に転向し、水田稲作を営む者も出てきた。また元来バジャウとは縁がなかった、イギリス人が持ち込んできた馬を操ることにすぐに習熟した。この点、西洋人が持ち込んだ馬の乗馬技術をたちまち我が物にして、後に植民者を手こずらせたアメリカ・インディアン(この言葉も「インディアン=インド人」という矛盾した言葉を含んでいるので適当ではないが、他に的確な用語がないので、敢えて使う)と同様、剽悍な民族の血がなせる業と言えるだろう。

こうして漂海民だったバジャウ族は、サバ州に定着してしまい、一部は定着農民となった。現在は、農業や漁業に限らず、多くの分野に進出している。


漂海民|バジャウの人種的特徴

漂海民|バジャウ族ってどんな人? @ ボルネオ島サバ州
海で遊ぶバジャウ族の人々

バジャウ族は、肌の色が浅黒く、パッチリとした二重瞼で、体毛は少なく、胴体はほっそりして手足が長く、身長は日本人とほぼ同じで、顔の彫りがモンゴロイドよりも深いが、コーカソイド(インド・ヨーロッパ人種)よりも浅いという、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどの諸国の多数民族であるマレー系人種の特徴を有している。

このマレー系人種は、人類学上モンゴロイドに分類されているが、東アジアの日本人、中国人、朝鮮(韓国)人、それに中国南部の少数民族を父祖とする、カダザン・ドゥスン族やサラワクのイバン、ケラビットなどのダヤック諸族などとは別の人類と断言できるほどに外見は全く異なる。私見だが、マレー系人種とは、大昔にモンゴロイドと、インド南部から来たドラヴィダ系が混血した人種なのだろう。筆者の日本人の知人の、インド南部ドラヴィダ系のタミール人との妻との間の子が、外見は全くマレー系人種だった事実もある。

エティオピアの主要民族アムハラ族にしても、黒い肌に縮れ毛というネグロイドの特徴を持ちながらも、顔付きはコーカソイドとよく似ており、これはエティオピアの地理的関係から、コーカソイドのアラブ人とアフリカ黒人との混血が何千年も続いた結果である。

ところで、後に述べるバジャウの近隣諸族で、近年になってやはりスルー諸島からはサバ州に大量流入してきた、一括して スルック Suluk と呼ばれる民族と比べて、目付きが穏やかなのは、現在も様々な政治・経済的苦難の中にあるスルック族に対して、長年のサバ州での生活によって気質も幾らか和らいだせいだろうか。それでも、文句は多いのだ。

危険な漁業という生業を長年続け、咄嗟の判断を下すための抽象的思考の訓練をしてきたために、頭の回転が速いことは前述した。そして、文句が多くて喧嘩っ早いのは、世界中の漁民に共通する気質のようだ。


漂海民|バジャウの文化

漂海民|バジャウ族ってどんな人? @ ボルネオ島サバ州
コタキナバルの近くにあるバジャウ族の水上集落

バジャウ族の宗教はイスラム教だが、1960年代に彼らの出身地のスルー諸島に住み込んで、バジャウの生活ぶりを観察した米国の文化人類学者の報告によれば、イスラム教以前のアニミズム、つまり精霊信仰が依然として強く残っていることがわかる。イスラム教の本来の教義にそぐわない悪霊がいて、それを追い払う祈祷師(Bomoh ボモー)がいる。ただ、これは現在の西マレーシアでもインドネシアでも同様であり、東南アジアに伝播したイスラム教が、その教義の価値よりも、それに帰依することによって、アラブやインドとの交易上の利点が多くなるという、物質的・功利的な価値判断によって受容されたことを表している。

話が逸れるが、日本における仏教の受容も、神道よりも悪霊退治に効き目があると見なされたからだし、キリスト教の場合は、明治時代に日本に入ってきた際には、深遠で清浄な教えとして受け取られたのだが、キリスト教が最初に伝播したパレスティナ、シリア、アナトリア(トルコ共和国がある小アジア半島)では、キリスト教は強力な呪術として、やはり悪霊退治に効験があるとして受容された。

そういう次第で、バジャウ族のイスラム教に対する信仰態度はそんなに強固なものではなく、バジャウの社会の慣習に従っているだけの話だ。


近縁諸族

イラヌン族 Ilanun

前述したように、気が短いバジャウ族の近隣諸族の中でも最も気性が荒い。バジャウ族は海賊でもあったが、ミンダナオ島西部を本拠としていたこの民族は、ボルネオ島を超えて遥か西マレーシアまで遠征して荒らし回った歴史を持つ。


ブギス族 Bugis

ボルネオ島の東のスラウェシ島から、これも昔は海賊として有名で、遠くニューギニアまで進出していたが、インドネシアを侵略中のオランダと衝突して敗北し、一部はマレー半島へ移動して、マラッカ王朝を継承したジョホール王朝を簒奪した歴史を持つ、イスラム教徒のブギス族が、主に東海岸の油ヤシ農園で働いており、東海岸のタワウ、ラハ・タトゥ Lahad Datuなどの町は彼らに占領された感があるほどである。また、彼らは民族的天分からか、建設現場での重機の運転手になる者が多いし、コタ・キナバルのタクシーの運転手の多くも、彼らブギス族である。彼らはマレーシアの王族の源流をなしたほどに歴史と伝統があり、そのせいか、前記の民族に比べて知的な人間が多い。

著者:三好良一


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更新:2015年10月05日|公開:2009年09月24日|カテゴリ:民族

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