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ブルネイ(Brunei)族グループ @ ボルネオ島サバ州

マレーシアのボルネオ島サバ州のブルネイ(Brunei)族グループの詳細です。ブルネイ王国からやって来た人々の末裔で、サバ州南西部に住みほとんどがイスラム教徒です。

ブルネイ族の概要

今ではサバ州の南西方面に小さな国となっているが、文献史料で辿れる限り、6世紀には建国して、当時の南北朝時代の中国の梁朝か陳朝のいずれかと交易した記録が残っている。ブルネイ王国は、その後15世紀にイスラム教を受容し、19世紀までサラワク全土やサバ州の一部を領有していた。ブルネイ族は、そのブルネイ王国の主要な住民を構成していた民族であり、サバ州の南西部の海岸沿い、パパール Papar、キマニス Kimanis、ボガワン Bongawan、メンバクット Membakut、ボーフォート Beaufortの各地方に居住するイスラム教徒の漁業民族である。

ブルネイ王国の長い歴史と伝統のためか、他民族に比べて挙措動作は落ち着いて洗練されており、頭の回転も比較的速く、政治家や官僚になる者が多い。サバ州内の同じイスラム教徒でも、血の気が多くて喧嘩っ早いバジャウ系の民族とは大違いで、全般に目付きも態度も穏やかである。

ただ、直接的に感情を表さない分、言い方が遠回しになったり、感情を害すると後で間接的に仕返しをされることもある。その点、昔に王朝文化が栄えた日本の京都や、インドネシアのジャワ人と似たところがある。王朝の遺民は、世界中どこでも厄介なようだ。


歴史

前述のように、ブルネイ王国は、サラワク全土やサバ州西海岸の一部まで領有していたのだが、1840年頃に、今のサラワク州の州都 クチン Kuching 沖合いに出没する海賊に手を焼いたブルネイ王朝は、どういう経緯でコンタクトしたのか知らないが、元イギリス海軍兵士だった ジェームス・ブルック James Brooke に海賊退治を依頼した。

ブルックは、その要請に応えて見事に海賊を退治し、その褒美として、クチン近辺の領土を貰った。しかし、前述の通りに、ボルネオ島の脊梁をなすイラン山脈を越えて、カリマンタン地方から進出してきたイバン族が、当時クチンにまで進出しており、ブルック指揮下のイギリス軍は、この頑強なイバン族を平定するのに骨折った。その平定が終えてから、領土的野心に燃えたらしいブルックは、クチンから北のブルネイ王国領土を次々に支配化に収めていき、遂にはブルネイ王国の領土は、現在の規模にまで縮小されてしまった。

現在、ブルネイ王国の領土は、首都のバンダール・セリ・ボガワンがあるブルネイ本土と、サラワク州に周りを囲まれた飛び地のテンボロン Temborong 地方に分かれており、サバ州とブルネイ本土との間を自動車で陸路で行くと、大変である。まっすぐ行けば、精々5、6時間くらいのところ、あちこちの国境検問所に加え、同じマレーシア国内なのに、サバ州もサラワク州もお互いに自治権が強いので、この両州間を通るにも、検問所を通らなければならないのだ。

まず、サバ州とサラワク州の間の国境ならぬ州境検問所で、まずサバ州側で出州手続きをしてスタンプを押してもらい、次にサラワク州側で入州手続き、次にはマレーシア領サラワク州からブルネイの飛び地テンボロンとの境で出国、テンボロンに入って入国、テンボロンを出て再びサラワク州に入るのでまた出国、それからサラワク州から出国、ブルネイ本土に入って入国手続きとなり、帰りは逆の順で次々に同じ手続きを踏まなければならないから、パスポートは1回の往復だけで、スタンプだらけになる。

ともあれ、ブルネイ王国はブルック軍のために滅亡寸前に追い込まれたところを、ブルックの過度の勢力拡張に危惧を抱いたイギリス本国の政府がストップをかけ、ブルネイ王国はすんでのところで滅亡を免れたというわけだ。そして、ブルックは征服した領土に王国を建設し、世界史上初めての、白人ラジャ(Raja サンスクリット語由来のマレー語で、王者の意味)となり、その後3代100年のブルック王朝の基礎を築いた。前述の通り、1941年に始まった太平洋戦争で、翌年2月に日本軍がイギリス軍を破ったことにより、この王朝の歴史は幕を閉じた。

そういう次第で、サラワク側はブルック王朝に取られ、サバ州側では、ブルネイにほど近い、サバ州南西部のウェストン Weston にイギリス軍が上陸して、19世紀後半にブルネイの現在の領土が定まった。サバ州に居住するブルネイ族は、ブルネイ王国がサバ州の一部を領有していた時代から住み着いていた人たちなのであり、その後サバ州に進出してきたイギリスの支配下に入った人たちなのだ。


ブルネイ族の概要

居住域は、ボーフォートからサラワク側のシピタン Sipitang、サラワクとの州境のシンドゥミン Sindumin にかけてだが、ボーフォートやウェストン近辺では、ブルネイ族やビサヤ族と居住域が重なる。


近隣諸族

ビサヤ族 Bisaya

フィリピン中部のヴィサヤ Visaya 族と紛らわしいが、別の民族である。

ブルネイ族とほぼ言語や習慣を同じくし、同じイスラム教徒の漁業民族であり、やはり気質も全般的に大人しい。サバ州南西部のボーフォートから、南シナ海に突き出て、ラブアン島の対岸に当たるペニュ Penyu半島にかけて住む。昔は、ほとんどが水上集落で暮らしていた。


ケダヤン族 Kedayan

上記ビサヤ族とほとんど同じ言語、文化、習慣を保持し、やはり昔はほとんどが水上集落生活を送っていたイスラム教徒の漁業民族である。


著者:三好良一


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更新:2015年09月27日|公開:2009年09月24日|カテゴリ:民族

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