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キリスト教プロテスタント @ ボルネオ島サバ州

マレーシアボルネオ島サバ州の宗教、キリスト教プロテスタントについてです。プロテスタントのほとんどは中国系で、イギリス人から学んだものと考えられます。

キリスト教について

キリスト教と一口に言っても、現地で信仰されているのは、大きく、ローマン・カトリック(カトリック)とプロテスタント、それにプロテスタントの一派ながら、より戒律が厳しい原理主義宗派に分かれる。


キリスト教プロテスタント

中国系がほとんど

サバ州における、後に述べる原理主義的教派以外の、いわゆる正統派プロテスタントの主な信者は、中国系人である。プロテスタントに改宗した中国系人は日常生活では中国語を話すものの、イギリスを代表とする欧米文化に染まって、現代世界において残存している唯一の古代文明である貴重な中国文明を捨てて、中国の歴史を学ばず、漢字を忘れ、日常会話の多くも英語となり、いわば皮が黄色くて心が白い「バナナ」状態になっている。そして名前も、ブルース・リーとかサイモン・ヒューなどのように、中国系の苗字の前にイギリス系の名前をつけて格好をつけている。

中国系人は、先住民一般を見下げており、欧米の価値観と相容れないイスラム教は論外として、欧米人が崇拝するキリスト教のうち、カダザン・ドゥスン族グループのほとんどが信仰するローマン・カトリックよりも上等な宗教とみなしたプロテスタントを選んだ。中国系人は、ひどい中国語訛りながら英語を得意としているから、イギリス人を始めとして、多くの欧米人との接触の中から、プロテスタントの教義を学んだものであろう。


プロテスタントの歴史

プロテスタントはローマン・カトリックに対する「抗議者」という意味であり、16世紀前半にマルティン・ルターが始めた反カトリックの運動が、ドイツ北部を始めとして、その後の数々の血生臭いカトリックとの戦争と殺戮、虐殺によってドイツの人口が3分の1に減少するなどの経緯を経て、北ヨーロッパ各地に波及した。カトリックとプロテスタントを問わず、キリスト教が教えの高級さとは程遠く、歴史的には世界各地で大量虐殺を引き起こしてきたことは、ここでは詳しく述べない。


カトリックとの違いは?

カトリックとプロテスタンの教義の主な違いは、プロテスタントがヴァティカン及びローマ法王の権威を認めず、神、イエス・キリスト、精霊が一体だとする三位一体説を拒否している点、それとマリア信仰を否定している点にある。その点では筆者もプロテスタント側に同意するものだが、プロテスタントは、それを信仰する北ヨーロッパのゲルマン諸族(ドイツ、オーストリア、スイス北部、デンマーク、ノルウェイ、スェーデン、オランダ、ベルギー北部、イングランド、アイスランドなどの国々の、金髪碧眼の特徴を有する人種を祖先とする主要民族)の謹厳実直な性格を反映して、聖書、特に新約聖書の記述を一言一句信じることを根本教義としている点、筆者にはついていけない。


牧師が教義を教える

プロテスタントでは専門の聖職者という職業に従事する階層は存在せず、信者の中の代表が持ち回りで礼拝を仕切って説教するが、こういう説教者のことを、カトリックの神父に対して、牧師と呼んでいる。カトリックとプロテスタントの教会は、その外見だけでも一見してほぼ見分けがつき、カトリック教会は外部も内部も装飾が多くて絵画や像がたくさんあるのに対して、プロテスタント教会は、随分すっきりしている。

今ではラテン系(イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニアなど)に信仰が多いカトリックでは、聖書を読んで内容を理解するのは聖職者に限られ、その聖職者が神と民衆の仲立ちをし、一般民衆は聖職者の言葉を受け入れるだけで、罪を犯しても懺悔すれば帳消しになるという融通無碍な教義なのだが、プロテスタントでは、ラテン語聖書を各国語翻訳して、各人が聖職者を通さず神と直接対峙するものとされた。それで、プロテスタント運動の初期の頃には、禁欲と勤勉が最も重要な徳目とされていた。


アメリカのプロテスタント

イギリスから新大陸に渡った大きな集団としてピューリタン Puritan、日本語で清教徒と呼ばれる信仰団体があり、彼らは本国での圧迫を逃れて、今のマサチューセッツ Massachusetts を州都とする ボストン Boston州に定着し、その後の米国の歴史において政治・経済・社会面での主流を占めた、ワスプ WASP(White Anglo-Saxon Protestant:白人でアングロ・サクソン系のプロテスタント信者)と呼ばれる社会の最高階層を形成した。

歴代の米国大統領でWASPでない者は、黒人である現在のバラク・オバマを除けば、1953~60年のドゥワイト・アイゼンハウアー(白人でプロテスタントだが、ドイツ系)、1961~63年のジョン・フィッツジェラルド・ケネディ(白人だが、カトリックのアイルランド系)、1969~73年のリチャード・ミルハウス・ニクソン(白人でプロテスタントだが、アイルランド系)、そして1979~86年のロナルド・レーガン(ニクソンと同様の出自)だけである。

この清教徒集団は、彼らの道徳観から外れた女性を集団リンチしたセーラム事件や、1920年代には結局はアル・カポネなどのギャングの暗躍をはびこらせた禁酒法を成立させるなど、ガチガチの倫理道徳を固辞していたが、そんな伝統があるプロテスタント国家である米国で、何故現在のような世界中にカジノ経済をはびこらせたり、テロ戦争と題して戦争を拡大したりする悪徳を重ねているのかと言えば、その教義の根本である個人と神との一元的な関係に対する解釈が歪められたからである。


プロテスタントの規範とは?

マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」によれば、プロテスタントの日常生活を律する道徳は、カトリックの修道院での規則正しい日課を規範として、日常生活の大部分を神に捧げなければいけないとして勤勉が奨励された。そのために、その神に対する奉仕に対する個人個人の報酬、つまり所得は価値あるものとされた。それが、時代を経るにつれて、金を稼ぐことは神に対する奉仕だとする考えに歪められてしまったのだ。

そうして元々の勤勉の精神の根本が忘れられるに従い、1950年代まで米国にまだ残っていた禁欲の精神も、その後の1960年代の世界一の豊かな生活や、ヴェトナム戦争を続ける米国の政治・社会体制への根本的な疑義から拡大した、ヒッピー・ムーヴメントやカウンター・カルチャー運動の進行の過程でかなぐり捨てられたものだ。


最後の審判について

サバ州でのプロテスタント信者も、カトリック信者と同様、利己的な希望を祈りで叶えようと意図している点、来世の救済を求めている点では大同小異だ。なお、カトリックもプロテスタントも火葬は認めず、全て土葬にするが、これは人類の歴史の終わりに、イエス・キリストが再臨して、過去も現在も含めて地上に生きた全ての人類を集め、天国行きと地獄行きに選別する「最後の審判」を受けなければならないが、イエス・キリストの前に立って捌きを受ける際に肉体が焼けて残っていないと困るという理由だ。この点、イスラム教も審判者がアラーと言う違いがあるだけで同じことである。

欧米人が一旦悪の道に足を踏み入れたら、悪魔みたいな徹底した悪者になる傾向があり、それが特にプロテスタント信者に多い。その理由は、キリスト教では人生は一度きりであって、東洋思想のような輪廻転生、つまり人生は何度でもやり直しが効くという考えを否定しているために、一度罪を犯したら、もう永久に天国に行けずに地獄行きだと考えているからだ


キリスト教の懺悔について

カトリックの場合は軽い罪なら懺悔をすれば帳消しになることもあるが、プロテスタントは懺悔をしても罪は罪として神が厳しく採点するので赦される可能性は低く、一旦道を踏み外したら、天国行きの希望は全く絶たれてしまって自暴自棄になるわけだ。

キリスト教が広まった初期には、輪廻転生の考えもあったのだか、何度かの宗派論争を経て、4世紀頃には全面否定されるに至った。それは、地上における神の代理人としての聖職者の権威を守るためのカトリック教会の意図から出たものだったが、プロテスタントはカトリックの教義に反発しながら、人生は一回きりで直線的に流れるとする歴史観を受け継いだわけだ。

著者:三好良一


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更新:2015年09月28日|公開:2009年10月26日|カテゴリ:宗教

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