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イスラム教の歴史|西暦622年に始まった宗教

西暦610年モハンマドがアラーの啓示を受け布教を開始し、622年をイスラム暦元年としています。アラビア半島を支配し西へと領土を拡大し、かつては広大な領地を支配していた時期もありました。

イスラム教の起こり

622年に始まった宗教

モハンマドは西暦610年、日本で言えば聖徳太子が小野妹子を隋に派遣するなど活躍していた頃に、メッカ近くの丘の洞窟の中でアラーから啓示を受けて布教活動を開始したが、622年にメッカから追われてメディナに移動した。イスラム教ではこの事件をヘジュラ(聖遷)と呼び、前記のイスラム暦の元年としている。イスラム暦では、2009年は1430年になる。


イスラム教の世界支配

アラビア半島統一

ムハンマドはメディナで勢力を築いて、遂に630年にメッカを占領し、その後、アラビア半島を統一した。彼の死後の後継者たちは、アラビア半島を出て各地に転戦し、周辺諸国を武力で従えて、サラセン帝国という、アリグザンダー(アレクサンダー)帝国やローマ帝国以来の世界帝国を築き上げた。その最盛期の領土は、今の中近東全域から西は北アフリカのモロッコ、北はアナトリア半島、南はエジプト、東は今のパキスタンに達する広大な版図だった。


700年間ヨーロッパに

その後、イスラム教徒は現スペイン・ポルトガルのイベリア半島も征服し、1492年のクリストファー・コロン(コロンブスは誤り)のアメリカ大陸到達(彼の前に先住民がいたし、フェニキア人やバイキングも到達していたから、決して彼の「発見」ではないし、彼自身はカリブ海を巡っただけで、大陸本土には至っていない)の年にキリスト教軍によって駆逐されるまで、西ヨーロッパの一角に700年間居座った。

サラセン帝国にもいろいろと転変があり、カリフ(イスラム教社会における宗教と政治の最高指導者)の地位を占めていた、モハンマドが属するクライシュ部族に取って代わってウマイヤ部族が帝国を牛耳ってウマイヤ朝となり、その後をアッバース朝が継承するなどの政治的変化はあったが、その間に現イラクのバグダッドが都となり、華やかなイスラム文明が花開いた。


ヨーロッパのの世界支配

キリスト教徒による十字軍

ヨーロッパのキリスト教社会は、現イスラエルのエルサレムを奪回するために、1096年から約200年間にわたって十字軍を送り込んだが、短期間を除いて目的を達することはできず、相手側のイスラム教側からは、野蛮人による虐殺と蛮行という強烈なイメージを残してしまった。実際に、当時のヨーロッパ社会は、イスラム社会より遥かに遅れていると見なされていたのだ。


ヨーロッパが支配者に

ヨーロッパが世界の支配者になったのは、たかだかこの200年くらいであり、それまではイスラム教社会が世界の指導者的存在だった。ヨーロッパで13世紀からルネッサンスが始まったのは、ヨーロッパではカトリックから排斥されていた古代ギリシア文明が、イスラム社会からユダヤ人を通じてヨーロッパに紹介されたからだし、インドや中国からの産物を持ち込む貿易路も、当時アナトリア半島を拠点にしてアラビア半島、エジプト、ヨーロッパ東南部を領有していたオツマン・トルコ帝国によって独占されていた。


大航海時代幕開け

ポルトガルやスペインが大航海時代を切り開いたのは、このオツマン・トルコ帝国を介さずに、当時ヨーロッパでの需要が大きく貴重品だった胡椒を得るために、インドと直接貿易しょうとする意思から、西回りや東回りの航路を探し求めるためだった。初期のポルトガルの航海者は、東アフリカのタンザニアの港で、アラブ人の立派で大きな船を見て、ヨーロッパ文明の後進性を思い知らされている。


近代兵器の登場

そんな遅れたヨーロッパ人が、アラブ人やインド人のイスラム商人たちを追い散らし、アジアや南米で覇権を握ることができたのは、ひとえに当時の最新兵器である鉄砲の威力による。アジアや南米、アフリカと同様にアラブやインド、ペルシア、その他のイスラム教諸国も20世紀までにはほとんどヨーロッパ諸国の植民地にされてしまい、活力を失った状態が続いた。


2度の世界大戦

第一次世界大戦

その間、イスラム教各国でイスラム教再興運動は地道に続けられていたが、実を結ぶことはなかった。1914~18年の第一次世界大戦の結果によって、オツマン・トルコが崩壊してアラブ諸国が誕生して、アラブ民族主義が勃興し、それがイスラム教復興運動にも繋がっていく。


イスラエルの建国

この風潮は、1948年に土着のアラブ系パレスティナ人を排除してイスラエルが建国されてから盛り上がり、建国直後のイスラエルに攻め込んだ第一次中東戦争では、エジプト・シリア・ヨルダン・イラクなどのアラブ連合軍は負けたものの、第二次世界大戦後に独立したエジプトで、ナセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言して、イギリス・フランスを相手に互角の戦いを行い、国有化を実現指させた1956年の第二次中東戦争により、イスラム教再興に希望をもたらした。

その後、1967年の第三次中東戦争では6日間でイスラエルに完敗したが、1973年の第四次中東戦争ではイスラエルと互角に戦い、同時にアラブ諸国の産油国が中心となった石油戦略、つまり産油国が欧米の石油メジャー(多国籍大企業)を追い出して油田を国有化するという行動を取ることによって、世界におけるアラブ諸国の発言力が一気に高まった。


冷戦の開始

1979年末のソ連(現ロシア:ソヴィエト社会主義共和国連邦)によるアフガニスタン侵略によって、これに憤ったイスラム教徒が諸国から義勇軍として集まり、イスラム原理主義は高潮期を迎えた。この時期に米国のCIAが育てたのがオサマ・ビン・ラディンなど、現在のイスラム原理主義過激派のテロ・グループのリーダーたちであり、その流れを汲んだのがアル・カーイダとされているが、この組織は、米国が敵を作り出すためにでっち上げた架空の集団だということを裏付ける情報が、各国の諜報機関からリークされている。

ともあれ、米国は自らが撒いた種で育った果実を摘み取るために、現在イラクやアフガニスタンで泥沼の戦争に陥っているわけだが、あの911事件もまた、その対テロ戦争と称する侵略行動を正当化するための自作自演なのを、筆者は事件直後から推理していたが、今ではいろいろな情報から確実となっている。


過激派テロ集団はごく一部

ただ、我々が理解しなければいけないことは、実際にイスラム教徒のテロ集団は世界各地に存在するが、彼らは決してイスラム教全体を代表しているわけではないことだ。

筆者は本稿で随分とイスラム教の批判をしているが、別にイスラム教を見下したり、敵視したりしているわけではない。イスラム教自体はおかしな宗教だとは思うが、それを愚直に信じている一般信者には、実際に好人物が多いことを何度も経験している。彼らには、目を覚まして冷静になってイスラム教を考え直して欲しいと思うものの、棄教すべきだと主張するつもりは毛頭ない。

著者:三好良一


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更新:2015年09月28日|公開:2009年11月02日|カテゴリ:宗教

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