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北ボルネオサバ州へイスラム教が伝来したのはいつか?

サバ州にイスラム教が伝来したのはいつ頃なのか、正確な年代は分かりませんが、マラッカ王国 → ブルネイ王国 → 北ボルネオサバ州と考えられます。

北ボルネオサバ州への伝来

ブルネイから伝わった

サバ州(北ボルネオ)にイスラム教が伝来したのはいつ頃なのか、正確な年代はわかっていないがブルネイ王国なのは間違いない。ブルネイ王国については「サバ州の民族」でも触れたが、既に紀元6世紀には中国の王朝に朝貢した記録が残っているから、相当に古い歴史がある国だが、ブルネイにイスラム教が伝来したのは16世紀以降と思われる。


マラッカ王国から広がるイスラム教

東南アジアにイスラム教が最初に根付いたのは、東西の交易路の要所を扼して16世紀に栄華を極めたマラッカ王国が最初であって、この王国は元々はヒンドゥー教だったのだが、アラブやインド商人との交易を通じてイスラム教がもたらされ、この宗教に改宗することが、より貿易に有利になると判断した国王がまず改宗し、その後貴族や庶民に広まった。

マラッカ王国が繁栄するのは、従来からのアラブ・インド方面からの交易品と中国からの交易品を交換・売買する場所に位置していたからだが、大航海時代に入って、ヨーロッパからポルトガル人などのヨーロッパ人か、肉の保存用の香料として求める胡椒を買い付けに来訪するようになって、ますます繁栄した。

当時のヨーロッパにおける胡椒の値段は金と同じか、それより高い価値を持っていて、胡椒貿易は莫大な利益を生むので、ポルトガル以外にもスペイン、オランダ、イギリスなどが、胡椒争奪戦を繰り広げて、マラッカ王国も、最後にはポルトガル人によって乗っ取られてしまった。その争奪戦の過程で、東南アジアのほぼ全体がヨーロッパの植民地列強に蹂躙され、翻弄されるようになった。


海洋民族の関わり

胡椒はスラウェシ島の南西方面のモルッカ Molucca 諸島(現地語でマルク Maluku 諸島)で産出されるので、この海域のブギス族やバジャウ族などの海洋民族が、そこから品物を集めてマラッカや、途中の中継点のバタヴィア(ジャカルタ)まで運ぶ交易活動に乗り出して活躍するようになる。

こういう海洋民族は昔から、マラッカ王国の他にも、ジャワ島やスマトラ島のシュリヴィジャヤ王国、シャイレンドラ王国、その後のマジャパヒット王国、それにブルネイ王国などに各地の産物を運ぶなど、非常に広範に活動していたため、マラッカ王国でのイスラム教定着の影響を受けて、彼ら海洋民族の中にも改宗する者が増えていき、更にそれを自分らの故郷の地域や交易拠点などに広める役割を果たし、それが東南アジアにおけるイスラム教の伝来の原動力となった。


フィリピンのイスラム教

1540年頃、日本で言えばポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来した頃、スペインがフィリピンのマニラを占領した時には、この東南アジアの北の辺境までイスラム教が入っていた。その時に既に存在していたモスク(回教寺院)が、今でもマニラの一角キアポ Quiapo に残っているラジャ・スレイマン・モスク Raja Sulaiman Mosqueである。

フィリピンではその後、スペイン人によってほとんど全土がキリスト教化され、ムスリム Muslim(イスラム教徒)は主としてミンダナオ島やパラワン島の一部に残るのみとなり、現在でも85%のカトリック、10%のプロテスタントに比べて、ムスリムの人口比は3%ほどである。


サバ州ではあまり広がらなかった

サバ州へのイスラム教の伝来も、マラッカ王国に伝来したイスラム教がブルネイ王国による直接貿易や、海洋民族を介してブルネイ王国に伝わって受容され、これら王国の臣民によってサバ州にも伝わったものであるが、海洋民族がサバ州に直接伝えたケースも勿論あるだろう。しかし、当時のサバ州の沿岸部は分厚いマングローヴ林で覆われていて人口も希薄だったから大きな町もなく、世界とリンクした貿易拠点があったとは考えにくい。従って、ブルネイ王国の臣民を介して伝わったものと考えるのが妥当である。

著者:三好良一


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更新:2015年09月28日|公開:2009年11月02日|カテゴリ:宗教

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