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73年前の12月8日世界の歴史が変わった!マレー作戦開始

今日12月8日何の日か分かりますか?日本がハワイ真珠湾を奇襲し大東亜・太平洋戦争が始まりました。しかしその1時間前、マレー半島北部のコタバルへ日本軍が上陸し、マレー作戦が開始されたのでした。

73年前の12月8日世界の歴史が変わった!マレー作戦開始

マレー作戦とは?

マレー作戦とは、日本軍によるイギリス領マレーとシンガポールへの侵攻作戦を指します。当時はまだマレーシアという国はなく、イギリス領マレーで植民地支配を受けていました。

1941年12月8日午前1時30分(日本時間)、マレー半島北部の「コタバル|Kota Bharu」へ日本軍が上陸し、ハワイ真珠湾攻撃よりも1時間早く「大東亜太平洋戦争」が開始されました。マレー半島での日本の快進撃は続き、たったの70日間でシンガポールまで攻略し、イギリスにとっては最大かつ歴史的な屈辱となったのでした。自転車でマレー半島を縦断した作戦としても有名です。


なぜ世界の歴史は変わったのか?

世界で白人以外の独立国は、この当時たったの2カ国。日本、タイ王国だけでした。それ以外の国はすべて白人の植民地となっていて、弱肉強食の帝国時代で搾取されていました。その白人支配に待ったをかけたのが日本!

それまで有色人種は白人にかなうはずがなく、抵抗する意思も力も全くなく、ただただ白人の支配に黙って従っていました。最終的に日本は負けてしまいましたが、白人に果敢に挑んでいった日本人に励まされ勇気をもらい、第2次世界大戦後アジア・アフリカで多くの国々が独立していったのでした。


トゥンク・アブドゥル・ラーマンも日本に協力

トゥンク・アブドゥル・ラーマンは「マレーシア独立の父」であり、マレーシアの初代首相です。当時まだ少年であった彼は、日本人の神本利男や谷豊(ハリマオと呼ばれていた)らに積極的に協力し、日本軍の戦いが有利になるように努めました。そんな彼は当時を振り返りこう言っています。

日本軍と英軍の士気は違っていました。日本軍は末端の兵士1人ひとりまでもが勇敢で、使命感にあふれていて、怠け者や横暴な兵士は1人も目につかなかったですよ。」

(藤岡信勝『教科書が教えない歴史3』産経新聞社、1997年、p.265)


ジョヨヨボの予言

当時マレーには「ジョヨヨボの予言」という伝説がありました。それは以下のようなものです。

北方の黄色い人たちが、いつかこの地へ必ずきて、悪魔にもひとしい白い支配者を追い払い、とうもろこしの花が散って実が育つ短い期間、この地を白い悪魔にかわって支配する。だが、やがて黄色い人たちは北へ帰り、とうもろこしの実が枯れるころ、正義の女神に祝福される平和な繁栄の世の中が完成する。

(土生良樹『神本利男とマレーのハリマオ-マレーに独立の種をまいた日本人』展転社、1996年)

この「黄色い人たち」を当時のマレー人は日本軍と思い協力しました。このように日本軍だけでなく、現地のマレー人も一緒になってイギリス軍と戦ったという事を忘れてはいけません。


この動画がスゴい!

この動画の歴史観は私も納得ができ、自虐史観にとらわれるのではなく、「白人たちと戦った祖父たちを誇りに思う」というスタンスで仕上がっています。10分ほどの動画で少し長いですが必見です!


マレーシアではどう評価しているのか?

いままで色んなマレーシア人に当時の話しを聞きましたが、どちらかと言えば好意的に見ています。今は亡くなってしまった友人のお父さんは、当時の日本の教育を受け、教師に「バカヤロー!」と怒鳴られたと笑って話してくれました。日本の軍歌を歌ってくれ少し涙ぐんでいたのが印象的でした。

「日本人はマレー人の首を切った!」という話しをしてくれた人も「もう昔の話しだからね。」と非難がましい事はあまり言いませんでした。こういう現地人の話をまとめたものも、いつかブログに書いてみたいと思います。


十二月八日を記憶せよ

高村光太郎氏が書いた有名な詩です。スゴく好きなので紹介します。

記憶せよ、十二月八日。
この日世界の歴史があらたまる。
アングロサクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼らのジャパン、
眇(びょう)たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断(ろうだん)するもの、強豪米英一族の力、我らの国に於いて否定さる。
我らの否定は義による。東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼らの搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさにその爪牙(そうが)を砕かんとす。
われら自ら力を養ひてひとたび起つ。
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。

世界の歴史を両断する。
十二月八日を記憶せよ。


書きたい事は山ほどありますが...

ここボルネオ島サバ州には「サンダカン死の行進」という有名な出来事があります。サンダカンからラナウへオーストラリア兵とイギリス兵捕虜合わせて2000人を移送しましたが、そのほとんどが死亡してしまうというものです。これについてもいつかブログで紹介します。

それでは、また。


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更新:2016年04月17日|公開:2014年12月08日|カテゴリ:ブログ|タグ:ニュース

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