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フィリピンミンダナオ島でのイスラム教体験|モロ戦争中
1982年フィリピンのミンダナオ島で農業研修をした時の見聞です。当時はモロ戦争真っただ中で、イスラム教徒自身から見解を聞くのが目的でした。
フィリピンでのイスラム教体験
1973年石油ショック
1973年に当時の世界を揺るがした石油ショック、つまり中東のアラブ諸国を中核とする産油国が、当時石油の支配権を握っていた当時欧米の石油メジャー(大企業)の油田や施設を国有化し、メジャーによって長年1バレル Barrel(約 159 ℓ)= US$4に抑えられていた原油価格を一気にUS$12に引き上げた出来事があり、日本でもパニックを引き起こしたものだった。
その当時に高校3年生だった筆者は、当時のヴェトナム戦争の勉強を通じて欧米による世界支配に批判的だったので、この石油ショックで世界体制が変わるものと期待して喝采を上げていた。そして、いずれは中東にも行きたいと思って、アラビア語やイスラム教を勉強したりもした。だから、今でもアラビア文字は多少読めるし、ワーヒダ、イスナー、サラサー、アルバー、カムザー、シッター、サブアー、サマーニアー、ティスアー、アシャラーという1から10までの数詞なども覚えている。
フィリピンミンダナオ島での研修
その後結局はアラブやインドへの放浪の旅よりも、将来の世界的な食糧危機に対処するためにNGO入りして、途上国、特に東南アジアでの農業開発に従事する道を選んだのだが、まずはそのNGO運営しているフィリピンのプロジェクトでの半年間の熱帯農業研修に参加した。1982年9月から翌年2月までだった。
その研修は3ヶ月ずつ前期と後期に分かれていて、前期研修が実施されたのがミンダナオ島だった。「サバ州の民族」の「外来民族」の項目で少し詳しく触れたが、このミンダナオ島は当時、峠を越えて沈静化しつつあったとは言え、キリスト教徒とイスラム教徒の間の「モロ戦争」と呼ばれる内戦の最中だった。
モロ戦争の影響は?
研修地はミンダナオ島でもキリスト教徒の多い町だったが、少数のイスラム教徒もいたので、筆者はイスラム教徒の学生と仲良くなって、金曜日の集団礼拝に参加させてもらっていた。目論見は、彼らの多くからモロ戦争に対するイスラム教徒の視点からの見解を聞くことだった。
しかし、後にいろいろな経験を通して知ることになるが、日本に限らずマスコミの針小棒大な報道は必ずしも真実を伝えてはおらず、局地的な事象を大袈裟に取り上げるので、一般読者は洗脳され易いのだ。このモロ戦争に関しても、結局は局地的な争いであって、筆者がいた現地には緊張感は全くなく、両教徒は仲良くと言うか、お互いに干渉せず共生していた。
そのために、筆者の目論見は頓挫したのだが、一方で、両膝を折って跪き、頭を床にこすり付ける動作を5回繰り返す、お馴染みのイスラム教式礼拝のやり方を覚えたり、実際のイスラム教徒の生活振りを見聞したりするいい機会となった。
著者:三好良一
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更新:2015年09月28日|公開:2009年11月02日|カテゴリ:宗教
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